映画といえば、今ではインテリ風の映画評論家や半ばアーティストといった雰囲気の監督の人も見かけますが、遠くない昔には「女中の娯楽」と呼ばれたほどに蔑まれたものでした。映画館も最新型のシネコン(複合映画館)のように清潔で心地の良い場所ではなく、薄汚れていて近寄ると補導員に注意されるような場所だったといいます。そのように馬鹿にされていた映画が今のような「映像文化」としての地位を獲得できたのは何故でしょうか。
その理由の一つに、「映画学」の存在があります。ハリウッドを擁するアメリカ合衆国は、優れた映画を生み出す人材を育成するために大学に「映画学」のコースを設け、大学の教員たちに「どうすれば良い映画が作れるか」を研究させるように指示したのです。その場では、それまでの映画スタッフたちの経験とノウハウばかりではなく、視覚心理学や記号論、物語論のような他分野の学問も取り入れられ、「映画学」の基礎確立に寄与しました。映画学コースを卒業した人物にスティーブン・スピルバーグが居るように、映画学は製作技術の発展を加速させましたが、同時にそれまで他分野の専門家が副業としてこなしていた映像評論の世界にも大きな影響を与えました。
同じようなことが小説でも言えます。戦前に子供だった人たちは、親に隠れて今でいう純文学小説を読み、こっそり楽しんでいたといいます。もしそれが親に見つかれば、「小説なんか読まずに、もっと高尚な漢文などを読みなさい」と叱られたそうです。
また、日本文学初期の小説家である二葉亭四迷は、親に「小説家になる」と告げたがために、「小説なんてくだらないものを書く仕事に就くなんてとんでもない、お前なんかくたばってしまえ」と言われ、それが「くたばってしめえ」=「二葉亭四迷」というペンネームの元になったというエピソードを後年明かしています。
それが現代では小説は国語の試験では定番のひとつですし、「活字離れ」が教育現場で問題になるほどに「堅い」文化として小説は考えられているのですから、たいした進歩です。この進歩の裏にも、やはり「新しい文化の学問的基礎付け」があります。今各大学の日本文学科が研究しているような近代文学研究なくしては、小説の進歩もなかったことでしょう。
さて、日本のアニメーションやテレビゲームやマンガの場合はどうでしょうか。ジブリ作品は誰にでも楽しまれる日本を代表する映像作品群となり、ゲームも日本のみならずアメリカでも「ニンテンドー」の俗称で楽しまれるほどになっていますし、マンガは手塚治虫らの努力により作家性を見出されるまでになっています。しかしその一方で猟奇犯罪の犯人がアニメマニアだったせいでマスコミがアニメをバッシングしたり、「ゲームは脳を破壊し暴力的にする」という「ゲーム脳」のような書籍が中高年の人気を呼んだりしていますし、「マンガばっかり読まずに小説でも読みなさい」なんて言葉はどこの家庭でも聞かれることです。そしてそれらのディープな世界にハマってしまえば「オタク」の烙印を押され、一人でいれば「根暗で地味」と言われ、大勢でいれば「きんもーっ」と言われます。最近ではメイド喫茶ブームや電車男ブームなどでマスコミにおもしろおかしく取り上げられて、さながら動物園の檻に入った動物のような迷惑な扱いをうけていますし、時には「あいつらはゴキブリと一緒ッスよ」と、罪悪感の無いまま行われる「オタク狩り」に遭う危険性すらあります。
このような状況に陥っているのは、未だにアニメやゲームやマンガに対する一般的な侮蔑の念が強く存在しているためであることは明らかです。果たして今、殺人事件の犯人が暴力的な小説のファンだったからといって、ワイドショーが小説をバッシングするでしょうか? この待遇の違いの根本的な問題は、やはり新しいために「文化と見なされていない」点にあると言えるでしょう。だからこそ、いま、アニメやゲームやマンガもひとつの文化として捉え、学問的見地からの真面目な研究を行い、広く文化としての重要性を主張する必要があるのです。
もうすでに、さまざまな人によってアニメやゲームやマンガに対する真面目な研究・分析が始まっています。当会は先人の方法を踏襲し、アニメに対しては実写映画で培われてきた映像演出論や記号論、シナリオ論等から、ゲームに対しては古来から考えられてきた「遊び」の思想や、アニメと同じく映像論にて、またマンガに対しては前の二者に比べてより成長しつつあるマンガ表現論やシナリオ理論を、といった風に、すでに確立されている学問を「分析のメス」として利用して研究する手法をとっています。
当会で研究しているものの詳しい例は、アーカイブ(工事中)をごらんください。
なんだかんだ言って、研究活動は「楽しくアニメやゲームやマンガを楽しむ」ことを前提として行っていますし、会員同士で雑談したりマンガを回し読みしたり、一同でアニメ鑑賞をしたりしている時間のほうがはるかに長いので、心配は無用です。ただそれだけでは格好がつかないので、上のようなものを掲げて活動しているだけです。
例えば、テレビでアニメを見て笑いながら、ときどき誰かが「ここの作画って陰影がはっきりしてるから緊迫感が出てるよね」とか気づいたことを言ったり……そんな感じです。
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